アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

WAVERING RADIANT

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「最良の本は我々に絶えず問を掛けてくる本である。かくして問答が始まる。問は問に分れ、答は新たな問を生み、問答は尽きることなく発展してゆく」

By 三木清


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*血肉で読む本

 流石にガチで読書が趣味って人には遠く及ばないかも知れないが、ワタクシも結構な数の本を読んできた次第である。でもって今まで40年近く読書して、ようやく一つの結論を導き出したのである。ソレは「本は中身を記憶するモンではなく、その知識を血肉とするためのモンである」と「本を読む上で大事なのは結論ではなく、結論に至るためのプロセス」という事である。簡単な話である、自動車教習所の教則本や講義を丸暗記できたという事と、クルマを運転できるという事は、また別問題だからである。教本には「踏切を渡る時は、一端完全に停止した上で、窓を開けて音を聴く」って書いてあり、ソレを丸暗記すれば実技も試験も通るけど、ソレだけじゃその一節の真意は理解できないからである。


 因みにその回答は「踏切が故障してる場合もあるから」である。だから一端止まって左右を確認するだけでなく、窓を開けて音で列車の接近を確認する必要があるのである。この様に「○○は××だ」ではなく「何故○○の場合は××になるのか」を考えて本を読まなければ、その真意は決して分からんのである。そしてその真意が分からなければ「じゃあもし××じゃなくて△△だったら?」って質問には答えられないのである。でも「何故○○が××になるのか」を理解してさえいれば、ソレを応用して「△△の場合は□□」って答えられるようになり、コレが真の意味での知識なのである。結論は単なる情報であり、ソコに至る過程こそが知識であり、本を読む真の意味とは、他ならぬその知識を得る事なのである。


*とあるエンジンのコンバット目録

 何故最近こう思うようになったかって、つい最近ワタクシにディベートを挑んできたヤツが、正にこのパターンだったからである。本やらネットやらで情報は仕入れてきてるけど、実体験を伴わないソレだから、途中過程をすっ飛ばして一気に結論から話すのである。だから「その前提違うんじゃないの?」って言い返すだけで簡単に足元を掬えるし、ソレに対し反論されても簡単に切り返す事が出来る。知識が自身の血肉になってれば、ソコから幾らでも応用が利くし、幾らでも発展進歩させられるのである。さて話は変わって、と:

こういう本をいくら読んでも、やっぱ自身がソレを明確に感じて理解できてないと、その真意は理解し難いモンなのである。単なる写真やカタログスペックで見ると「外車大した事無いじゃん」って思うけど、実際乗ってみると全然違うのである。料理と一緒で、単体だと大して美味しくないソレ等が、組み合わせて調理される事で美味と化す。知識を血肉にしようと思ったら、やはりソレなりに深くコミットする必要があるのである。そしてコミットして体験できれば、本は益々面白くなるのである。


でも最近のワタクシは血肉化するのに相応しい本じゃなく、こんなモンばっか読んでるんだよな、ウン(笑)ただワタクシの知る限り、読んでムダになる本なんか一冊たりとも存在しなかった次第である。だからたとえどんな本でも、ワタクシは取り敢えず一通り読む事にしてるのである。


PEACE COMBAT (ピース コンバット) Vol.12 2016年 4月号

PEACE COMBAT (ピース コンバット) Vol.12 2016年 4月号

コレも特に血肉化するほどのモンは無いよな、ウン(笑)ただサバゲーの装備って、思ったよりサイズが小さい(てゆーか、ニッポンには小さめなのしか入ってこない)から、欲しいと思っても探すのに苦労するモンである(^_^;)ガキの頃は身体がデカい事が学校における自慢のネタだったけど、いざ大人になってみるとデカい事にメリットって余り無いモンなのである。


*情報に価値が無い時代

 メディアが本とテレビとラジオしかなかった時代なら、情報単独でも価値はあったのである。が、今はネット全盛期、スマホ全盛期、SNS全盛期である。電波さえ届いてればその場でスマホ使って検索できるし、何だったら写真に撮ってSNSに「コレ何だか分かる?」ってアップロードしても良い。そうすれば、大概の情報は簡単に手に入る。そう、今の時代、情報をどんだけ持っていても価値は無いのである。よくオタクが書いたブログを見ると、ちょっと調べれば分かる知識を延々と書き連ねているけれど、ンなモン読むだけ時間の無駄である。料理の材料のストックが質量ともに充実していても、ソレを上手に調理できなけりゃ意味は無いのである。


 そう、情報が食材なら、知識はさしずめ料理ってトコであり、料理の腕があってこそ材料の豊富さや質の良さがモノを言うのである。そして誰でも何時でもどこでも簡単に情報を仕入れるようになった今、勝負となるのは料理の腕なのである。上記でワタクシの言った「情報を血肉化する」ってのは、つまりこういう事である。料理の完成品を食べてるだけじゃ料理を知った事にならないのと同様に、その情報が生み出されるプロセスを知らなければ、その本を読んだとは言えないのである。だから本を読むときは常に実践を意識して、中身を反芻するように地道に確実に読んでいくのである。さてこう書いてると本がまた読みたくなったので、さっさとお暇する今日この頃であった。