ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「女というものは自然現象と同じで、責めたりなじったりするものではない」
By 田辺聖子
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*男と女の甲子園
ワタクシは誰かと一緒に仕事をする時、男か女かを気にした事は無い。同様にニッポン人か外国人かも気にしないし、健常者か障害者かも気にしない。無論、その人の属性に関するタブーは気にするが、ソレ以外は特に気にかけた事は無い。何故なら一番大事なのは「ちゃんと仕事ができるのか否か」の一点であり、ソレさえ出来てれば何ら問題にする事なんて無いのである。だから【女子マネージャーが甲子園のグラウンドに立って云々】ってのが全く理解できんのである:
一応【高野連の中の人の言い分】もあるのだが、コレまた理解し難いモンがあるのである('〜`)何つーか「男子=やきう経験がある」「女子=やきう経験が無い」を前提にしてるけど、じゃあやきう経験の無い男子がグラウンドに立ったらどうなるんだって話である。でもって、男子にやきう経験があるのか否かをどうやって判別するんだって話にもなるのである。
まぁワタクシが思うに、この問題はウヤムヤになって終わるだろうなって希ガスのである。だって大手新聞2社が甲子園に携わっていて、各界に甲子園経験者が幅を利かせていて、オマケに普段はあんだけ五月蠅いフェミニスト連中もコレに関してはダンマリである。取り敢えず「そういう事があった」ってだけ報道して、あとは”甲子園の感動”とかやらで誤魔化して、あとは大物芸能人の結婚離婚不倫が重なるか、或いはどっかの川にアザラシが現れれば完璧である(笑)ニッポンに限った話ではないが、歴史の長い国ってのは”伝統”の二文字に兎に角弱い。ニッポンは歴史が長い上に儒教的な縦社会だから、尚更こういうのには弱いのである。
*予算30万円からのコンバット物語
まぁワタクシ的には甲子園よりもオリンピックなので、この話がどう転がろうが実は知ったこっちゃないのである(笑)ただニッポンの裏側でやってる→ワタクシが寝てる時間に競技やってるから、中々観れないのがアレであるが(^_^;)ただ次のはリアルタイムで観れるので、ソレだけは楽しみである。話は変わって、と:
GT-R MAGAZINE(ジーティーアールマガジン) 2016年 09 月号 (雑誌)
- 出版社/メーカー: 交通タイムス社
- 発売日: 2016/08/01
- メディア: 雑誌
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第二世代は兎も角、R35だと30諭吉で出来る事って結構限られちゃうのである(^_^;)なにせ何やるにもカネがかかるから、30諭吉じゃ足らない場合の方が多いからである。そんな中、効果が殆ど無い事が分かっているにも関わらず幅を利かせるR35のトランスミッションメンテナンス┐( ̄ヘ ̄)┌まぁ前世代に比べ積極的に弄ってくれるオーナーが少ないから、こういうので稼がなきゃならんのは理解できんでもないのであるが。
PEACE COMBAT (ピース コンバット) Vol.14
- 出版社/メーカー: トランスワールドジャパン
- 発売日: 2016/07/28
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この雑誌、M4関係の特集も結構多いのである。だから今後のトレポンカスタマイズにおいても、参考に出来るトコが結構多いのである。この雑誌は内部カスタムよりも外部カスタムがメインなのであるが、ソレがまたトレポンのソレに合っているのである。只今3本目のトレポンの構想があるのであるが、ソレの参考にしているのである・・・まぁクルマ買っちゃったんで、組むとしても当分後の話であるが(^_^;)
- 作者: 西尾維新,VOFAN
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/07/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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もう終わったはずなのに番外編が延々と続くので、ワタクシも買わざるを得ないのである(笑)どんな本であれ、ワタクシは一度読み始めたら最終回まで読まなきゃ気が済まない性質なので、否が応にも付き合わなきゃなくなるのである(^_^;)ホント、こち亀やゴルゴ13やグイン・サーガのファンでなくて良かったと思う次第である(爆)
*伝統に対する甲案&乙案
話を甲子園のソレに戻すとして、じゃあどうすれば良いかって話である。まず甲案であるが「男女で分けるのではなく、やきう経験の有無で分ければ良い」である。上記にもあるように、この規定って「男子=やきう経験がある」「女子=やきう経験が無い」っていう一昔前のソレを基にしてるから色々とおかしくなるのである。だから男女云々ってのを取っ払って、単純にやきう経験で決めちゃうのである。次に乙案であるが「甲子園での高校やきう大会を女人禁制にして、神事扱いにする」である(笑)要するに相撲と同じように「コレはスポーツじゃなく神事だから不平等でもおk、だって神様の教えなんだもん(* ̄∇ ̄*)」でやり過ごすのである。
でも何ちゅーか、良きにも悪きにも関わらず、ニッポン人はトコトン”伝統”ってヤツに弱いのである。その伝統も意義が分かった上で守ってるのではなく、何ちゅーか「伝統だから守る」「伝統を守る事が良いとされてるから守る」って感じで、守る事が手段じゃなく、目的と化しているのである。ニッポンで会見云々の議論が不毛なのも、正にこの理由である。ニッポンはこの方法で明治維新以降(WWIIを除いて)ずっと成功しているから、その経験が「伝統さえ守れば大丈夫」「伝統を守ってれば繁栄できる」って思い込みに繋がってるから、明らかに有意義なソレであっても変化を拒んでしまうのじゃないかとワタクシは考えるのである。まぁ考えても一銭の得にもならないので、さっさと寝るに限る今日この頃であった。