ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「留意しておくべきは、固く決意した命がけの意地をもって加えられたる殺意からは、君主といえども逃れる術はないということです。なぜなら、死を恐れぬ者ならば誰でも、こういう害を加えることができるのですから」
By ニッコロ・マキャヴェッリ
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*最後に頼れるのは自分
テレビや雑誌や新聞やネットとかを見てると、未だにいじめだのパワハラだのが定期的に話題になっているのである。ワタクシは前々から言っているのであるが、この手の問題を根本的に解決しようと思ったら、最後は自分自身が色んな意味で強くなるしかないと思うのである。確かに法整備だとか行政の介入とかは重要であるけど、ソレにも限界があるからである。完全にいじめやパワハラを無くそうと思ったら、ソレこそいじめ警察やパワハラ警察を作って、全ての学校と職場を24時間365.255日監視しなきゃならなくなるんだけど、そんな事は言うまでもなくムリな話だし、百歩譲ってできたとしても、やるヤツは法の目を掻い潜って間接的な手法を駆使してまでもやるだろうからである。
そう、他人や世の中ってのはすぐには変わらないし、変わっても自分の望む方向には変わらない事があるし、自分の望む方向に変わったとしても限度があるのである。ワタクシが常々「世の中を変えるよりも、まず自分を変えろと言ってるのは、つまりそういう事である。正しいとか正しくないとかそういう事ではなく、自分の望むモンを一番完璧に近く満たせるのは自分自身だからなのである。ただワタクシのこういう考え方ってどうやら世間じゃウケが悪いらしく、大概何処も彼処も「国ガー、社会ガー、企業ガー、法律ガー」なのである┐( -"-)┌無論、ワタクシは世の中が変わらなくて良いとは思わないが、ただスピードと効率を考えたら自分が変わった方が早いって話である。何故なら人間には寿命がある上、老化もするからである。
*ようこそ君主道徳の世界へ
ワタクシが何故この話を急にしたかって、ココ最近の【某横綱による暴行事件】に関して色々思う事があったからである。この件に関しては全関係者の言い分を全て聞いたワケじゃないので、今結論を出す事はできない次第である。ただ相撲ではないけど、ワタクシも大坊時代は体育会系の部活に所属していたので、こういう世界で起こりうる事は何となく分かるのである。ニーチェ曰く「世の中には勝ち組が実践する”君主道徳”と負け組らのルサンチマンから生ずる”奴隷道徳”の2種類の道徳がある」との事である。この「君主道徳」「奴隷道徳」については説明すると長いので、各自ググって調べてもらってほしい次第である。ココまで書けば分かると思うけど、そう、角界は君主道徳の世界なんじゃないかとワタクシは睨んでるのである。
相撲に限らず体育会系は大体そうだけど、体育会系って基本的に同性だけで固まる閉鎖社会なのである。ソレに加え基本的に実力社会だから、実力のあるヤツが幅を利かす土壌があるのである。つまり強さと有用さがモノを言う、正に君主道徳の世界なのである。でもって横綱といえば正に相撲の君主そのものであるからして、自ずと「俺が良いと言ったら良い、悪いと言ったら悪い」「アイツは悪いから俺が罰する」って考え行動に至ったんじゃないかと思うのである:
体育会系属性の無いロンマニアの方には想像し難いかも知れないが、こういう閉鎖的な環境にドップリ浸かってると、その環境が何よりも最優先になってしまうのである。先ずは環境内の安定が何より大事で、ソレを保つためには一般的な法から逃れるための隠蔽をも厭わないし、権力があるのだったら法の方を捻じ曲げたって良いって感じにである。こんだけの大事件なのに相撲協会が事を早めに収束させようと思ってるのも、つまりそういう事なんじゃないかと思うのである。
この件に関して、ワタクシは角界の体育会系的なソレを擁護するつもりはない。が、全否定するつもりもないのである。何故かと言えば古今東西、世の中は君主道徳で回っているからである。アメリカやソ連が20世紀からやってきた事や、今の中国がロシアやってる事を見れば、世の中が如何に君主道徳で動いているか&奴隷道徳が如何に役に立ってないかが分かるってモンである。上記にも書いた「正しいとか正しくないとかそういう事ではない」が、この場合にも当てはまるのである。ソレが間違ってると確信したとしても、対抗するだけの力が無ければ何もできないのである。古人曰く「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」との事であるが、ホントそう思うのである。正義は、力とセットだからこそ意味があるのである。
*奴隷道徳の世界へようこそ?
ワタクシは常々「発達障害当事者は可能な限り自立すべき」って事ある毎に言うのは、つまりそういう事である。確かに世間や社会構造が変わってくれればソレに越した事はないんだけど、変える為には力が要るからである。でもって力を得る方法は色々あるけど、その中で一番簡単且つ確実なのが、カネを使う事だからである。納税額が多ければ多いほど政治家も関心を持ってくれるし、役所だって動いてくれやすくなる。こういう書き方をすれば分かると思うが、ワタクシも君主道徳を良しとする側の人間である。まぁ体育会系だけでなく医者の世界も結構こう&ソレで回りや世の中が動くのをしょっちゅう目にしてきたんで、そう考えるのが自然って思っちゃってるワケである。ソレが絶対だとは思わんが、少なくとも世の中はソレで動いてるからである。
ただ残念な事に、発達障害の世界ってのは、どうやら奴隷道徳の方がメインになっちゃってるっぽいのである(^_^;)まぁその障害の特性故に世の中や社会から疎んじられ迫害されてきた人が少なくないから、トラウマやらルサンチマンやらの影響でそういう考えに至っちゃう気持ちは分からんではないのである。でもって奴隷道徳の思想に準じ「私達は生き辛くて可哀想なんだから世の中が変わるべき」「一部の勝ち組の抜け駆けは許さない、皆を可能な限り救うことが大事」「我々は正しいのだから、ソレゆえに滅んだとしても本望」って考えに至り、自己満足的な活動で何も変わらなくとも満足しちゃうのである( ̄〜 ̄)力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり。改めてその言葉を噛みしめる今日この頃であった。