アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

PASSION

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「学校って嫌なところさ。だけど、嫌だ嫌だと思いながら通うところに、学生生活の尊さがあるんじゃないのかね。パラドックスみたいだけど、学校は憎まれるための存在なんだ」

By 太宰治


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*やっぱ学校は大事

 学校ってのは、ただ単に勉強をするトコではないのである。学校というのは、ある意味社会の縮小図なのである。先輩が居て、後輩が居て、上司が居て、部外者が居て、ソコに様々な人間模様があるのである。良い事もあれば悪い事もあって、上手く行く事もあれば失敗する事もあり、理に適った事もあれば理不尽な事もあるのである。良い事があったらソレはソレで喜んでもう一度できる方法を身に付けたり、悪い事があればソレを教訓にして避けたり耐えたりする事を学んだり、良い事も悪い事もあるが、ソレ全てひっくるめて社会であり人生なのである。無論、いじめだとか部活のパワハラだとかいった有害なのはNGであるが、ソレを除けば学校はやっぱ行けるんだったら行った方が良いとワタクシは思うのである。


 何故こういう話を唐突にしたかというと、ワタクシの身内の一人が不登校気味になって結構経つのである(´ヘ`;)完全に行かないってワケではないが、ソレでも週1〜2回ぐらいしか行けないって感じである(-_-;)ぶっちゃけ勉強だけであればフリースクールなり家庭教師なりでやってけるし、進学云々も高認で何とかなるのである。が、勉強以外の学校で学べる諸々が得られ難くなるってのが痛いのである。その「学校で得られる勉強以外のモン」が社会人になった時に社会の中でやってくにおいて重要なのであり、学校外の教育諸々が充実してるアメリカみたいな国においても未だ学校教育が健在な理由でもあるのである。学校外がダメだとは言わないが、やっぱトータルパッケージで見ても学校がベストだとワタクシは思うのである。


*不条理のススメ

 だからワタクシは、その身内の母親にはこうアドバイスしたのである。勉強はしなくてもいいから、休み時間に遊ぶため給食食うためだけでも良いから、可能な限り学校に通う方が良いのでは、と。幸い学校には友達がソレなりに居て、いじめとかを受けてもないという事を母親からは聞いていたので、その上でそう勧めたのである。ちゅーのも、この手の問題で一番ヤバいのは、学校に全く行かなくなってしまう事だからである。小坊の内だったら十分挽回可能だけど、コレが中坊、高坊、大坊と進学してく度に社会性の熟成度のギャップがドンドン大きくなって、大きくなれば大きくなるほどに復帰が困難になるからである。何年も引きこもったヤツがそのままズルズルと30代40代まで引きこもり続けるのも、つまりそういう事である。



 だから薄くても良いから、社会(この場合は学校)との繋がりを保っておく必要があるとワタクシは考えたのである。乗り物は少しでも動いてれば僅かな力で再び走り出せるのと同様、社会との繋がりさえ保ってられれば再起するのも断然楽だからである。ワタクシも昔ニートになりかけた事があるのであるが(笑&実話)今思えば働き続けて正解だったと思うのである。無論身内が色んな困難や辛さを抱えてるのは百も承知であるが、ソレを分かった上で敢えて言っているのである。フリースクールとかその類がダメだとは言わないが、将来自立するための社会性云々を養うためには、やっぱ実社会に最も近い学校で学ぶのがベストだと思うのである。そう、一番肝心なのは「将来自立できるか否か」であり、ぶっちゃけ確実に自立できるのであれば何でも良いって事である。



 こう書くと「ドロップアウトした子供に対し社会が優しくなるべき云々」って言い出す人も居るだろうけど、捻くれモンのワタクシは「確かに優しくなるべきだけど、ソレを強制する事はできない」「社会が優しくなくても自立はしなきゃなんない」「世の中のせいにしたって物事は解決しない」と答える次第である(笑)アルベール。カミュが彼の作品内で何度も書いてるように、人生ってのは不条理の連続である。が、世の中が不条理だからといって「世の中が不条理なんだから野足れ死んでも仕方が無い」って結論になるのかって話である。当然ノーであり、どんな社会であれ生き残っていかなきゃならんのである。その不条理を最も安全に学べる場所は、学校だとワタクシは考えるのである。


*公の中の自立した個

 言うだけなら簡単なんだけど、実際やるのが難しい事は、ニッポンにおける引きこもりが69.5万人も居ることから分かるってモンである。実際ワタクシの身内の母親も「どうすれば良いか分からない。今後良くなる事を期待するだけ」と言ってるのである。こう言っちゃ大変アレだが、不登校や引きこもりなどを「自分の子は偶々調子が悪かった、相性が悪かっただけで、時間が経てば元に戻る筈ッ!」って感じに捉え、偶然や他人のせいにして現実から背を背けたくなる気持ちは分からんでもないのである。が、現実や都合の悪い事から逃れられても、人間社会の中で生きる社会人であるという事からは逃れられないのであり、何時かは立ち向かわなければいけないのである。ソレを先延ばしにする事は、何よりも子供を一番苦しめるからである。


 社会で生きるという事は自主性を持つって事であり、自主性は自分一人では決して育て上げられないのである。自分が居て、他人が居て、自分と他人が住む社会があって、その社会の中において「自分が何処に居て何をやれば公の為になるのか」をシッカリ認識し実行する事。コレが自立なのである。この”自立した個”を育てる事こそが子育ての目的であり、家族の役割なのである。だからワタクシはぶっちゃけ言っちゃったのである、診断書や手帳を取得する必要があるのなら、躊躇わず取れ、と。ソレで自立への道が切り開けるのならば、有効活用するのも手段の内である・・・と自立した個でないワタクシが言っても説得力皆無なので(笑)さっさと寝るに限る今日この頃であった。