アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

A SHEDDING OF SKIN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「劣った者は立派な人を馬鹿にするけれど、立派な人はそうはしない。ライオンはキツネの群れを守るけれど、キツネは互いにいがみ合う」
By サキャ・パンディタ

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*昭和のオタク、平成のオタク
 昭和のオタクと平成のオタクの一番の違いは何か?ワタクシの答えは「群れるか否か」である。昭和生まれのオタクってネットの無い時代を過ごしてるから、趣味は一人or少数で嗜むのがデフォなのである。同好の士と出会えるのはイベントとかショップとかで、ソレ等も少数しかないから、自ずと敷居は高くなるのである。まず周囲には理解されないし、味方も殆ど居ない。だから本気で好きなヤツじゃないと長続きしないのである:

平成生まれには考えられない!?昭和を生きたオタクあるあるランキング!
だから自ずと一匹狼みたいになっていくのである。ワタクシは今もそうであるが、無暗に自分がオタクであることを明かさないし、オタクだという事がバレて敬遠されても「まぁ仕方がない」で済ませられるのである。

 でもって平成のオタクであるが、平成になってネットが普及して以来、群れるのがデフォになっちゃってるように見られるのである。周囲に同好の士が居なくてもSNSやメールで繋がれるし、イベントが無くてもネット経由でオフ会を容易に開催出来ちゃったりするから、オタクである事に孤立感を殆ど感じないのである。孤立感を感じないどころか、逆に「周りから何言われても、ネットの向こうの仲間が居ればソレで良い」って開き直るヤツもいるぐらいである:

【平成のオタク文化を語る配信】前編(1989~2006年)

【平成のオタク文化を語る配信】後編(2007~2018年)
ソレに加えて世界的に「多様化ガー」「人権ガー」の時代だから、ソレに分乗してオタクである事を堂々と主張するヤツも少なくないのである。確かに群れることは悪くないし、同好の士は少ないよりも多い方が良いに決まってるのだが、何ちゅーか群れることが手段ではなく目的になってる、そんなヤツもチラホラ見かけられる希ガスのである。

*最高って何ですか?
 オタクと言えば、ココ最近【また撮り鉄が大騒ぎした】との事である。でもってこの手の鉄道撮影で何時も疑問に思うのが「なぜ大勢の人間が揃いも揃って同じ場所に同じアングルで同じ列車を撮るんだろうか?」ってトコである。ゲームやスポーツなどでベストパフォーマンスを得るための技術が確立してるんだったら、皆同じような事をするのは理屈として分かるのである。が、写真ってのは表現であり、表現ってのは十人十色なのが当たり前なのである。ゴッホピカソと同じような絵を描けば、ゴッホピカソと同じような評価を得られるであろうか?得られないどころか、コピー野郎と呼ばれバカにされるだけである。


土手を通る車にブチ切れ罵声を浴びせる撮り鉄

 表現だから十人十色の筈なのに、何故か皆同じような表現方法になる。コレってどっかで見た事あると思ったら、韓国のミスコンである(笑)韓国のミスコンが何故ああなるかと言えば、韓国には「最高の美」なる概念があってその概念に可能な限り近いのが良いとされているのである。韓国で美容整形が盛んなのは、その「最高の美」があるからこそなのである。ソレが最高なら皆がソレを目指すし、だから韓国のミスコンは皆同じような顔になってしまうのである。多分撮り鉄の写真も同じようなモンなんじゃないかとワタクシは思って調べてみたら、やっぱ「最高の撮影アングル」なる概念が存在してるっぽいのである。


クローンだらけの韓国ミスコン

 十人十色なはずの美の概念が何故同じになるかって問われたら、答えは「韓国は基本的に単一民族集団主義の部族社会だから」である。部族社会ってのは意志や目的を統一することによって集団で同時に動く事を可能とし、その事によって作業を効率化し易くなったり、外敵から身を守り易くもなるのである。でもって一体感を強めるにあたって道徳概念や美の価値観までも同じになっていく事があり、その価値観や概念に従わないヤツは「集団の和を乱し分裂を誘発しかねない危険なヤツ」と呼ばれ叩かれるのである。古来から「分割して統治せよ」って言葉がある様に、分裂は部族集団が最も恐れるモンだからである。

*令和のオタクは何処へ?
 そう、ワタクシは同好の士で集まって楽しむ事を否定はしないし、集まりは多い方が&頻繁な方が&社会的に認められるに越した事は無いのである。が、群れる事を目的にしては、群れる事を前提にしてはダメだと思うのである。何故ならソレは、人間として古いやり方だからである。上記にある集団主義の部族社会ってのは、色んな意味で遅れてるor立場の弱い社会において必要なモンなのであり、現にアフリカや中東は未だ部族社会がメインなのである。が、ココはニッポンである。社会インフラがシッカリ整った先進国である。部族に頼らずとも身を守れるんだから、その様なやり方はどうかとワタクシは思うのである。

 そう、珍走団や成人式のDQNなんかもソレだけど、集団でしかバカな事が出来ないヤツってのは、ソレ即ちテメェ1人じゃ何もできないヘタレなのである。だから昭和のオタクとしてコレから”令和のオタク”になる人達に言いたいのは「チームを組むのは良いけど集団にはなるな」という事である。やきうやサッカーが良い例だけど、集団で動いてるように見えて実は各メンバーが個性を出していて、故にメンバー全員の顔と名前がファンには伝わるのである:

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そう、個性を出す事は和を乱す行為でも何でもなく、自分一人で行動できる強い人間ならば他者とのケミストリーを生み出すための糧となるのである。昭和の集団主義から平成の過渡期を経て、令和は真の個人主義の時代になって欲しい、そう願う今日この頃であった。

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