アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE POWER COSMIC

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人類にとっては、ブッダやモーゼやイエスのような人たちの功績のほうが、科学を探求した人たちの業績よりもずっと大きな意味があります」
By アルベルト・アインシュタイン

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


発達障害あるある
 発達障害ってのは障害の特性上、どうしてもニートや引きこもりになる人が後を絶たないのである。ワタクシもその界隈で色んな仕事してそういう人に大勢出会ってきたし、前回述べたようにワタクシ自身もニートになりかけたのである(笑)だから最近世間を賑わせている【元農水事務次官に刺殺された長男のソレ】の長男のエピソードを読んでみた時「典型的な発達障害のソレだぁ~~(´Д`;)」無論この長男が正式に診断されてるのかどうかは定かじゃない&ワタクシも直接診てないので断定はできないが、発達が原因で中学生以降の人生が上手く行かなかったってのは十分考えられるのである。


逮捕の元農水事務次官 「川崎殺傷事件知り、長男も…」供述

 もしそうだと仮定すると、家庭内はこんな感じだったんじゃないかと思うのである。長男は発達だから人間関係を自然に理解する能力が乏しく、どんなに一生懸命やっても全然上手く行かないのである。でも親父さんは事務次官にまでなるレベルの人間、つまり人間関係や世渡りの達人とも言えるのである。そういう親父さん的には「人間関係や世渡りなんて、ちょっと考えれば誰でもすぐ分かる事」だろうから、話し合いをしても話がずっと平行線のままだったと思われるのである。優秀な人ほどプロセスをショートカットして直感で理解する能力が高いから、一つずつプロセスを経てゆっくり考えないと分からない人の気持ちは理解し難いモンなのである( ̄~ ̄)

*高貴な野蛮人って何ですか?
 フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソー曰く「ガキんちょは高貴な野蛮人」なんだそうである。生まれたばかりの状態では獣と大して変わらず、ソコからシッカリと教育を与えて&社会経験をタップリ積ませる事で生まれ持った野蛮性を抑制・制御・昇華する術を身に着けて、そのプロセスを経て初めて理性ある人間社会の一員として迎えられるという意味である。何故発達障害及びその他諸々からくる引きこもり問題が大変なのか、何故ワタクシが盛んに「発達当事者は可能な限り就労すべし」と言うのか、その理由が正にルソーの言ってるソレだからである。学校行って就職してなければ、ソイツは社会の一員じゃないからである。


親の苦悩 中高年ひきこもり 取材  2019年6月4日 スッキリ

 こう書くと「そんな事は無いッ!どんな人間も掛け替えのない存在なんだッ!価値の無い人間など居ないッ!」って反論する方も居るだろうけど、ソレに対しワタクシは「確かに価値の無い人間なんて居ないよ。ただ、社会の一員でないヤツの価値はムチャクチャ低いけど」って答える次第である。人間が平等なのはデジュール上の話であり、デジュール上ならば研修医も教授も同じ一票である。が、デファクト上では人間は平等などでは全然なく、研修医がどんなに言葉を並べようと教授の一言にも及ばないのである。教養もなく納税もせず実績もないニートの言葉など、どんなに正しくとも説得力皆無なのである。


社会復帰 -引きこもりから仕事につくまで-

 だからこそ、発達障害や引きこもりの社会復帰・社会参加ってのは重要な事なのである。何故引きこもりが荒れるのかって、時が経つにつれて自身のこのデファクト上の価値が落ちつつあるのが何となく分かるからじゃないかと思うのである。そう、自己肯定感がどうのこうのとか、引きこもりのプライドや和の精神がどうのこうのだとか、そういった事は後で良いのである。まずは社会の一員になって具体的かつ客観的な結果を残す事が大事なのである、結果を残せばソレが自己肯定感の源となり、ソコから残りの細々としたモンを順次解決していけばいいのである。

*正論では人は動かない
 何故ニートや引きこもりがSNSとかでゴチャゴチャ五月蠅いのかも、そう考えれば辻褄が合うのである。よーするに社会的価値観の不足を知識の蓄積とか、或いは宗教や憲法や人権といった高位の価値観に従順である事を用いて補おうとしてるからである。よーするに「ヤツ等は全然勉強してないッ!勉強しまくってる俺のが偉いはずだッ!」とか「ヤツ等は堕落し切ってるッ!崇高なる教えに忠実な俺のが偉いはずだッ!」って主張する事で優位性を見出そうとしてるのであるが、当然そうは問屋が卸さないのである。何故なら理念を知ってる事と、実際に実行できる事は、全く別の話だからである。

 分かり易く言えば、料理と一緒である。食材とレシピが揃っていれば、果たしてソレだけで美味しい料理が作れるであろうか?答えは当然ノーである。実際に料理すると本やレシピには書いてない事だとか、様々な不確定要素(素材の鮮度など)が数多くあり、その通りには決して作れないのである。

【3分クッキング】チンジャオロースー
そう、知識ってのは料理で言えば食材にしか過ぎないのである。世間で評価されるのは素材を持つ人ではなく料理人であり、料理人になる為には実際の料理を数多く経験しなきゃならない、つまり社会に出て社会経験を積む必要があるのである。世の中を変えるのは言葉や理論ではなく、行動であり実績。改めてそう思う今日この頃であった。

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