アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

BUZZ FACTORY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「映画監督なんてのは、自分の身に染みついたものしか撮れないんだよ」
By 北野武

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ゲームである必要性
 龍が如くシリーズであるが、ワタクシは3まではやったのである。1が中々面白くて、2がソレなりに面白くて、3は惰性でクリアして(笑)ソレ以降は全然やってない次第である。3以降はGTA4だとかTES4だとかのオープンワールドゲームの魅力にドップリとハマってしまい、ソレと比較しての和ゲーのスケールの小ささやストーリー偏重の流れに嫌気が差してしまい、和ゲーからは徐々に遠さがっていって、その際に夢中になれなかったシリーズは全部切ってしまい、龍が如くシリーズも切られた中に含まれていたのである。そのシリーズの最新作が何時の間にか出てて、しかもあっという間にエンディングまで動画サイトに流出してたんだから、驚いたモンである(^_^;)


【龍が如く7】第一章「光と影①」荒川組若衆・春日一番登場【メインストーリー#1】

 でもって最後まで観て思った事が「確かにストーリーはすんごい良かったけど、でもコレってゲームでやる必要なくね( ̄▽ ̄;)」って事である。RPGパートとミニゲームパートとドラマパートがバラバラ過ぎて、寧ろゲーム部分は無い方が良いんじゃないかと思ったほどである。ギャグマンガみたいな必殺技使った後にお涙頂戴な感動ドラマが来ると「何だかなぁ~( ´△`)」ってワタクシは感じちゃうのである。RPG性が重要ならゲーム全体をギャグ調にした方が良いと思うし、ドラマが重要だったらゲームじゃなく映画かテレビドラマでやれって話である。洋ゲーなんかはソコんトコが非常に上手く、ドラマパートとゲームパートが上手に繋がってくるから、尚更ソレと比較しちゃうのである。だから「ゲーム買う?」と問われたら「動画で十分」なのである。

*映画好きvsゲーム好き
 話は変わって【デス・ストランディング】ようやく終わったのである。何だかんだ結構な時間遊んでたんで、ソレ即ち楽しんでたって事であろう。このゲームやって強く感じた事は「やっぱ田中角栄は偉大だった」って事である(笑)このゲームのメインコンテンツは「荷物を依頼主の元へ運ぶ」であるが、ソレをやるにあたって交通系インフラ(国道、ジップライン、充電所など)がメチャクチャ重要になってくるからである。ワタクシの前の祖国がソレだったのであるが、交通の便の悪いトコにはヒトもカネもモノも来なくなる&逆に出ていかれるから、国土を豊かにしようと思ったら交通網は絶対に欠かせないのである。


昭和の天才政治家【田中角栄】の成り上がり物語〜前編〜

【田中角栄】〜後編〜内閣総理大臣に就任&ロッキード事件の真相

 だから時々サヨクい政治家が「道路建設計画を見直す」とか言うのであるが、ワタクシは「見直すなバカヤロー」と答える次第である(笑)ただこのゲームに欠点が無かったかと言われたら、そんな事は無いのである。コレもネットで良く言われてる事であるが、ドラマ部分がムダに多いのである。ドラマが多いだけでなく、演出も過剰なのである。特に10章以降はゲーム部分が完全にオマケになってしまってて、エンディングまで延々とドラマを観せられてる合間に時々キャラクターを動かすって状況になるのである。小島秀夫監督はホントはゲーム制作じゃなく映画監督になりたかったらしいのであるが、その映画に対する憧憬と未練と執着がすんごい感じられてしまうのである( ̄~ ̄)


『DEATH STRANDING』スペシャル対談: Talk Stranding vol.1 “監督と出演者”  マッツ・ミケルセン

 ソレはソレでアリだとは思うし、何ちゅーか「和ゲーらしい」とも言えるし、ソレがピッタリ合う人にとっちゃ超絶神ゲーとなるであろう。が、ワタクシは「ドラマを観たい」よりも「ゲームをやりたい」って要求の方が強いのである。同じ2時間でも、最高級のソファーで寛ぎながら観客として名作映画を観るよりも、場末のショボい劇場であっても主人公として舞台上で生き生きする方が楽しいと感じてしまうのである。まぁコレばっかは個人差があるんで何とも言えないが、やっぱワタクシはゲームは自分が主人公であってナンボだと思うし、不器用でバッドエンドであろうとも自分の人生を生きる事の方が楽しいと感じるのである。

*いわゆる総合芸能
 じゃあ何故和ゲーはこういうドラマ偏重になってしまったのかをワタクシなりに考えたのであるが、その結論は「ニッポンじゃフィクションドラマ云々はゲームとアニメでしか表現してないから」といったトコである。映画とかテレビドラマとかネットドラマとか、そういうのがニッポンじゃあんま発達してないから、ファンタジーやSFみたいな分野におけるドラマ商売はゲームとアニメが担うようになってるのである。だからゲームにストーリーが欠かせないし、時としてゲーム性を犠牲にしてまでもドラマを重視するのである。冒頭の龍が如くの最新作も、ストーリーが良いと分かった途端に売れ出したのだから、やっぱニッポン人はドラマをゲームに求めてしまってるのである。

 でも外国(特にアメリカ)じゃ映画とかテレビドラマとかネットドラマが発達してる→ドラマ性はソコで摂取する事が出来るから、ゲームでムダにドラマを前に押し出す必要は無いのである。スターウォーズ然り、マーベル然り、ディズニー然り、向こうのファンタジーやSFを実写化する技術には凄まじいモンがあるので、ソコは素直に凄いと思うのである:

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」最後の予告篇 世界同時解禁

映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』冒頭約8分のプレビュー映像
ドラマ性を前に押し出す事の何が問題って、ドラマを重視すれば重視するほど細かい設定が大事になっていって、その結果ゲームにおける自由度が比例して薄れていくのである。だから結果として、ゲーム制作者の指定した道を歩むように強制されてしまうのである。そうすると結果としてプレイヤーの個性が否定されてしまい、ワタクシの様なヤツはソコにストレスを感じてしまうのである。ニッポンにおいて映像文化が発達しない限り、和ゲー文化は変わらない、改めてそう思った今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20200130235027j:plain