ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「ラジオによりヒトは字を読まなくなり、テレビによりヒトは考えることをしなくなり、インターネットによりヒトは人間性を失う」
By フランク・ゲーリー
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*マルチカルチャー時代がやって来る?
インターネットが世間一般に普及しはじめたのは、丁度ワタクシが大坊になった時である。ダイヤルアップ接続でピーカタカタ鳴らしながら1分ぐらいかかってHPを読み込むなんてのは、今の若いロンマニアの方には想像できない世界であろう(^_^;)Windows95が発売されて、一般家庭にもパソコンとネット回線が普及し始めて、ソレを見てその時のワタクシは「コレからはマルチカルチャーの時代が来るッ!自分の意見を確立し個性を磨かねばッ!」って思ったモンである。ネット前の時代って、情報の殆どがテレビやラジオや雑誌や新聞などから一方的にもたらされていて、その少ない選択肢の中から選んでいたのである。
今がそうなってるけど、じゃあネットが普及した暁にはどうなるかって、情報の配給が格段に増えるというだけではなく、情報の発信も格段に増えるのである。昔は同人誌だとかそういうのは一部の気合の入っててインフラのある人間にしか作れなかったが、今後は個人レベルでも出せるようになるとワタクシは当時考えていたのである。するとどうなるかって:
今までロクに見えなかったマイナー過ぎるモンにも陽の目が当たるようになり、情報の選択肢が格段に増える
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選択肢が増えれば、自ずと人々は分散する
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ブームの一極集中は無くなり、多様化が一気に加速する
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自分のやりたい事や方向性が定まってなければ、当然だけど選択肢が増えれば増えるほど迷う
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( ゚Д゚)マズー
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逆に言えば個性と意見を確立させられれば、多様性は逆にチャンスとなる
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(゚д゚)ウマー
という事になるとワタクシは予想したのである。マイナーでマニアックでメディアがロクに取り上げてくれなかったようなモンでも、今後は自分で発信する事でワンチャン生まれる可能性がある。だから今後は明確な個性が成功の秘訣になると当時のワタクシは考えたのである。ワタクシの個性がちゃんと確立できてるかどうかについては、今回は別問題としようジャマイカ(笑)
*勇気は普及しない
そのワタクシの予想が外れてしまった事は、最近のネット界隈を見れば明らかだと思うのである(´・ω・`)確かに情報はボーダレス化して見違えるほど多様になったが、人々の選択肢はネット時代前と変わらないか、或いは狭くなったように思えるのである。元々人間というナマモノは「自分が何を好きか」よりも「隣のヤツが何を好きか」の方を気にする傾向が強かったのであるが、その傾向が21世紀になって一層加速したように感じるのである。よーするにヤンキーやギャルの言う”個性”と同じで、集団主義の中での安心がある事が大前提であり、個人の追求は集団の中での立ち位置を得てからって発想なのである。
要するに「他のヤツ等が何を好きであろうとも、俺はコレが一番好きなんだッ!今後も俺はコレを選ぶッ!」って主張をするってのは、実はソレなりに勇気が要るのである。指をさされて笑われる事に対する忍耐だとか、その意見に反対して突っかかってくるヤツと対峙する覚悟とかである。確かにネットが普及して自分の意見を言う事は簡単になったが、ネットが普及しても勇気までは普及しないのである。特にネット社会になったら顔も名前も居場所も分からんヤツからの嘲笑や批判やイチャモンが断然増えるから、自分の意見を言う勇気はヘタしたらネット前よりも必要だったりするのである。そして大概のヤツはネット前同様、テメェの意見を言わずに他人に付和雷同するのである。
するとその結果どうなるかって、勇気出して個性を確立した極少数と、テメェの身を守る為に没個性化してフォロワー化した大多数、この二極化が進むのである。特にネット化して以来、逆に一極集中化が更に加速したって感じである。当然だけど名声や富はその極少数に集中して富むヤツは更に富み、没個性化したヤツは少ない富を更に吸い上げられる事になってしまうのである。そう、格差社会だとか二極化だとかいうのは政治や社会が悪いからそうなるのではなく、人々がソレを選んだからそうなってるのである。流されるままン百連ガチャを引き、周りと競うようにスパチャしまくって、その怒りを考えないまま反権力運動に吐き出す。全部自分の頭で何も考えないテメェが悪いのである┐(´д`)┌
*操り人形になるなかれ
テメェの頭で考えてテメェの責任で決断を下さないとどうなるか。答えは「狡賢いヤツに食いモンにされる」である。ソシャゲのガチャ然りvTuberへのスパチャ然り、グレタ然りBLM然りポリコレ然りフェミニズム然りである。テメェの頭で考えられずテメェの責任で決断できないが故の不遇と困窮を認められず、その鬱屈した気持ちを狡賢いヤツによって上手く誘導され、テメェのカネと票と労力と前科を奪われた挙句、テメェの元には何も残らない。古今東西、そういうのに流されたヤツの末路がコレである。でも操られてるヤツにはその自覚が無く、何度負けても「次こそはッ!次こそはッ!」って何度も何度も騙され続けるのである┐('~`;)┌
最近だと【タイツが云々】【サル山で云々】ってのがコレの典型である。フェミニズムに限らずこの手の社会運動に良くある話であるが、こういうのって首謀者は決して表に出て来ないのである。やり返されるのは常に末端だけで、首謀者は無傷のまま徐々に確実に野望を達成してるのである:
何か良いキッカケを見つける
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インフルエンサー的なヤツがSNS等で「○×は最低ッ!」って”意見”を”発す”る
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ソレ見た末端のヤツ等が「アイツ等をやっちまえッ!」って発言し、拡散してガンガン回す
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末端の中の過激な少数が対象に対し各種リアル凸をかます
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対処に追われた対象が音を上げて降参する
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ソレ見た同業者が警戒して委縮する
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首謀者の目的が達成される
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リアル凸したヤツが逮捕されたり訴えられたりしても、首謀者は痛くも痒くもない
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また別のキッカケを見つける
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(゚д゚)ウマー?
という具合に、何も考えずネガティブな衝動で動いてるヤツってのは、こんな風に狡賢いヤツに捨て駒として良い様に使われてしまうのである。多分BLMを仕掛けたヤツ等ってのは、今頃笑いが止まらなくて声が嗄れてしまってるのではないであろうか。道具が進化しまくってもソレを扱う人間のレベルがそのままならば、ソレは有益どころか逆に害悪ともなりうる。モノのレベルアップよりも人間のレベルアップの方が遥かに重要なのだと改めて思い知らされた今日この頃であった。