アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

UNTIL YOUR HEART STOPS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人生を変えるきっかけっていうものは、日常茶飯のいろいろなところに転がっていると思うんです。転がっているのに気付くか、気付かないか。気付いたときに取るのか、取らないのか」
By 向井千秋

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*Theキッカケ
 実はニッポンはスケボー大国であり、世界トップクラスの選手がゴロゴロ居て、男子世界ランク2位と3位がニッポン人だった。東京五輪が開催されてニッポン人選手が金メダルを取るまで、その事を知らなかった人が大多数なのではないであろうか。そう、五輪が何故アスリートにとって欠かせないかって、つまりそういう事なのである。五輪反対派は「五輪やらなくても世界選手権があるじゃん」って言うが、スケボーの世界選手権なんてボーダーしか興味を持たないのである。でも五輪はそのスポーツに本来興味の無かった人も観てくれるし、ソレをキッカケにその競技を始めようと思う人だって出てくるのである。

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 スポーツ、特にマイナースポーツにおいて何が一番重要なのかって、答えは「競技人口の獲得」である。競技人口が増えれば増えるほどその競技が盛り上がるし、より多くのカネが入ってくるし、カネがあれば更に人が集まってくるといった良循環が起こるのである。だからスポーツ選手がその競技でメダルを獲得すれば、ソレ即ちその国でそのスポーツが盛り上がるって事であり、そしてその効果は先進国以外では絶大なのである。ただ単に超デカい栄光を手にできるだけでなく、そのスポーツの普及大使の役割も選手は果たしてるのである。五輪よりも命?アスリートだって命懸けで競技に挑んでるんだから、ソコは互いに妥協である。

*五輪に政治は不要?
 さて今回の五輪からは、今まで禁止されてたスポーツ以外のパフォーマンスが「特定の国や団体をターゲットにしなければおk」という理由で緩和されてたのであり、予想通りと言うか何と言うか、早速BLM風片膝付きパフォーマンスをやらかすヤツが続出したのである( ̄~ ̄)まぁBLMは今や差別反対運動を通り越して階級闘争のシンボルと化してる&サッカーは基本的に労働者階級の嗜みなんで、ある意味仕方ないっちゃ仕方ないのであるが:
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そう、この手のパフォーマンスの何が厄介って、本来の意味以外のニュアンスが込められてる場合が多々あるのである。そしてそういうのは排他性だとか独善性だとか、そういうのを含む場合もあったりするのである。だからこの手のパフォーマンス容認ってのは、言わば諸刃の剣なのである。

 でもってワタクシ個人の見解としては「従来通りこの手の政治的パフォーマンスは一切禁止するのがベター」である。ワタクシが前々から言ってる事であるが、正義とかいうシロモノは出身や家庭や宗教や民族や教育によって変わるモンであり、真反対の主張を持つ人間が現れる可能性だって間々あるのである。そんな中でテメェの正義を掲げたらどうなるかは、ワタクシが言わずとも歴史が証明してる事である:
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ブラックパワー・サリュートの時代みたいにガチ差別が横行してた&表彰台上でしか全世界に意思表示する方法が無かった時代なら兎も角、今はSNSで即座に自由に世界中に配信できる時代である。だったら競技外で好きなように政治的主張をすればよく、態々競技内に持ち込む必要は無いのである。

 あとニッポンはそういうのが無いから無問題だけど、半年後の北京冬季五輪はどーすんだって話である( ̄~ ̄)中国は現在進行形でチベットウイグルに対するジェノサイドを行っていて、そしてホロコースト同様にジェノサイドは差別行為の最高ランクに属する行為である。口では「ありとあらゆる差別に反対するッ!」って言いながら、差別主義者である中国政府を利する事になる北京冬季五輪に参加するなんてのは、ブラックジョークにも程があるってモンである:
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そう、人権だとか反差別とかを絡めてしまうと、中国そのものが五輪から除外されてしまうのである。あとガチ女性差別のあるイスラム国家だとか、カースト制による差別鳴るインドだとか、掘り下げてしまうとマジで限が無くなるのである。故にソレ等を解決する方法は「政治云々は一切禁止で、純粋にスポーツだけをやる」しかないのである。ぶっちゃけ五輪できる国で、膝に傷の無いトコなんか何処も無いのである。

*ノーモア階級闘争史観
 まぁ何ちゅーか、20年代のスポーツは政治と切り離せなくなってしまったのである(´ヘ`;)今年のMLBオールスターゲームの開催地が政治的理由にてアトランタからコロラドに変わってしまったように、今や差別云々ジェンダー云々人権云々は階級闘争史観と結び付いてしまってる→ソレを無視して切り離そうとすると社会の分断が決定的なモンになる→ガチ内戦やガチ革命にも繋がりかねない勢いだから、主催者も選手側も「私達は貴方達と共に居ます」アピールを嫌が応にでもしなきゃならんのであろう(-_-;)マルクス由来の全体主義が20世紀に終わったと思ったら、21世紀にはまた新しい全体主義が出てきたって話である。

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 コレがこの後どうなるかって、幸い(?)にもニッポンは数十年前にソレを体験してるのである。ズバリ「内ゲバからの分裂弱体化」である。多分このまま行けば「もっとやれ」派と「流石にやり過ぎじゃね」派に意見が二分して、分裂による弱体化を恐れて反対意見を潰そうと内ゲバが始まり、ソコから内紛と分裂が繰り返され、最後は倒したかった権力者が何もせずとも自滅したってオチになるとワタクシは睨んでるのである。社会を語りたいのであれば不断の勉強と豊富な社会経験が必要であり、単なる正義感と感情論では世の中は変わらないと再確認した今日この頃であった。

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