アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

EARTHANDSKY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「僕は流れるっていう感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ」
By 岡本太郎

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*あがりの1台
 ワタクシが所謂「あがりのクルマ」ってヤツを選ぶのは何時になるかと考えたのであるが、現段階のワタクシの答えは「サーキット走行を引退した時」である。体力諸々が衰えて、計60分の全開スポーツ走行を満足にこなせなくなった時、残りのクルマ人生をゆっくり楽しむための集大成となる一台を選ぼうと考えてるのである。ソレが何時になるのかは、流石にワタクシも分からんのである。じゃあもし「今がその時だったら、クルマは何を選ぶ?」と問われたら、ワタクシの答えは「911ターボS」である。以前PECでタップリ乗って、その乗り味が未だ忘れられんのである。

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 ターボSの何が良いって、ソコに911の全てが濃縮されてる事がである。毎日乗れる利便性、長距離をモノとしないグランドツーリング性能、サーキットでの速さ、高級車としてのラグジュアリー性等々。そういった911の各種要素を高い純度で1台にギュッと濃縮されてるのである。無論100%とはいかないが、90%前後は確実にあるのである。コレなら仕事も普段乗りも買いモンも長旅もこなせるし、サーキットが懐かしくなったら嗜むレベルで走れるのである。値段が高いのがアレであるが、正にあがりの1台として(現段階では)最高の1台なのである。

*ドリフト\(^o^)/オワタ
 ドリフトはニッポン発祥のモタスポだそうである。じゃあ何故ドリフトがニッポンでモタスポ競技になれるほどに栄えたのかをワタクシなりに考えたのだが、ワタクシの答えは「バブルだったから」である。結局ニッポン特有のクルマ文化の背景には、必ずバブルという時代が関係してくるのである:

  • 社会にカネが溢れていて、若者が職にあぶれる事無く安定してタップリ稼げる時代だった
  • そんな時代、各自動車メーカーは若者向けのクルマをラインナップに多数揃えていた
  • ネットが普及する前で娯楽に乏しく、クルマ遊びが若者の数少ない娯楽だった
  • ニッポン社会自体が好景気で楽観的で、老人や行政が若者のヤンチャに対し大らかだった
  • チューニングに関する規制緩和が行われて、チューニング黎明期だった

こういう時代だったからこそクルマでバカな事やる若い子が大勢居て、その流れからドラテクを競い合うような環境が生まれ、その中から土屋圭市織戸学谷口信輝といったドリフトのカリスマが誕生し、あとは良循環って感じである。だからバブルという時代が無ければ、ドリフトは危機回避の技術のままで終わってた可能性が高かったのである。

 じゃあバブルという時代が終わったらどうなるかって、当然ドリフトも衰退していくのである。抑々各種余裕があったからこそタイヤ代も改造費もアホみたいにかかるドリフトって競技ができたのであり、余裕が無くなればできなくなるに決まってるのである。だから【ドリフト天国(以後ドリ天)が休刊】って聞いた時も「まぁ時代だからねぇ( ̄~ ̄)」ってのが素直な感想だったのである:
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巷では「今はネットに情報が溢れてるから紙雑誌の需要が云々」って事になってるが、ソレ以上にドリフトそのものが廃れてて抑々需要が無いのである。ワタクシはD1グランプリ全盛期をリアルタイムで見てたから分かるのであるが、マジでドリフトが話題になる事が激減したし、昔はよくやってたサーキットでのドリフト練習会もめっきり減ってしまってるのである(^_^;)

 結局ドリフトってのは、安い中古車と豊富な部品があるからこそ成り立ってたのである。時が流れれば中古車の弾数も減るし、部品はドンドン廃番になっていくし、減った分だけ値段も上がってくるのである。でもって新車も手頃なのが少ない上に高価だし、良い中古個体は海外にガンガン流れて行くし、コロ19禍後の諸々で各種値上がりが止まらないし、そりゃドリフトなんて出来る筈が無いのである( ̄~ ̄)
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ワタクシは当初「初代86/BRZが中古として数多く市場に流れて安くなったら、ドリフトも復活ワンチャンあるかも」って思ってたけど、残念ながらそうはならなかったのである( ̄~ ̄)今の90年代国産スポーツカー&スポーティーカーの在庫が尽きたら、ソレがドリフトの終わりの始まりだと思うのである。

*やっぱグリップがナンバーワン
 前にも書いたと思うけど、この時代が終わる事に関してのワタクシの見解は「衰退などではなく、本来のスポーツカーの在り方に戻っただけ」である。スポーツカーってのは、本来若いヤツが面白半分で買うシロモノじゃないからである。金銭的に余裕があるカネ持ちか、クルマが好き過ぎる熱心なエンスージアストか、そういう人等が高い購入費と維持費を払いながら維持してくモンなのである。でもってそういう人等が折角手に入れた高価で貴重なスポーツカーで積極的にドリフトしたいかと問われたら、答えは大多数が「ノー」と答えるであろう。

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 だからドリフトがこの先生きのこるのに必要なモンは何かと問われたら「ドリフト競技の新しい方向性」だとワタクシは思うのである。ぶっちゃけ今までのドリフトってのは、昔のストリートカルチャーの延長から来ているのである。そのストリートカルチャーが途絶えてしまったのなら、自ずと新しい方向性が必要になってくるのである。機械式腕時計が実用品から芸術品装飾品に移行して、格闘技が護身術からスポーツに移行したように、ドリフトにも新しい移行先が求められているのである。が、ソレを考えるのはワタクシの仕事じゃないんで(笑)さっさと寝ようと思う今日この頃であった。.